娘が産まれて6ヶ月が経ちました。
妊娠、出産、育児、はじめてのことばかりで、
いろいろ感じたことなど、記録しておこうと思います。
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私たち夫婦は、過去の病気が原因で、自然妊娠は望めないとお医者さんに言われていました。
結婚するときに「こどもができなくても、ふたりで楽しく暮らしていこうね」
と話して、結婚しました。
焦ることなくのんびり暮らして、結婚6年目に、いろいろな縁に恵まれて、たくさんの人の力を借りて、子供を授かりました。
いよいよ母親になるのだと思って、心構えというわけではないけれど、最初に「今まで持っていた『こだわり』は捨てよう」とおもいました。
子育てはきっと思い通りにならないことばかりだろうから、へんなところにこだわって、ストレスを溜めたり無駄なエネルギーを使ったりしないようにしようという作戦。
でも、ポリシー(方針)は捨てません。
だから、妊娠中も、食べ物や生活にあまり気をつけず、、、もとい、神経質にならず、妊娠出産関連の本も、必要最低限しか読みませんでした。
周りの人たちによく「こだわって助産院で産みそうだね」と言われていたけれど、設備の整った、ホテルみたいにきれいな個人病院を選びました。
伝統とか、自然なかたち、とかよりも、何かあった時すぐその場で処置ができるような設備のある病院は、私にとっては安心感があり、そこが決め手でした。
妊娠中は、つわりがほんとうにひどくて、しんどい日々でした。
個人差がおおきいものだけに、なかなか周囲からの理解を得ることがむずかしく、身も心もつらかった、、、
ただ、夫や母、おなじようなつわりを経験した姉など、身近な人が理解し励ましてくれたので助けられました。
結局あまり動けなかったせいか予定日から10日過ぎてもこどもは産まれて来ず、薬を使って誘発することになり、入院して、1日陣痛に耐え、翌日のお昼に鉗子分娩で産まれました。
出産はとにかくたいへんだったけれど、産まれてからはもう、未体験のしあわせな日々の始まり。
病院はきれいで快適だし、ごはんも朝からサンドイッチ、パンケーキ、ごはんに味噌汁に焼き魚など日替わりで超豪華だし、3時にはおやつが出る。
味はファミレスに毛がはえたようなものだけれど、不満なんてぜーんぜんなかった、据え膳上げ膳で、毎食おいしくたのしく幸せな気分でいただいた。
家事もしなくていいし、ただひたすら産まれたばかりのこどもと添寝をして、お乳をやって、ごはんをたべて、ぼーっとテレビのニュースをみていればいいのだから、こんな幸せな時間はないなぁと思って過ごしました。
産まれた娘は、どうやらおとなしい子らしく、産まれてすぐから夜泣きもほとんどせず。おなかが空いて起きても、泣かないでぞもぞしているので、それに私が気付いて目を覚まし、お乳をやる、、、という感じで、結局生後2ヶ月頃からは夜中に起きることもなくなって、朝までお乳ものまずぐっすり眠るようになりました。
おむつは、主に布を使っています。
と言うと「すごいね、えらいね」といつも言われるのだけれど、私としては、姉や親しい友人が布だったので、なんとなく私も布にしたという感じで、とくにこだわりを持ってやっているわけでは決してありません。
外出するときは紙おむつだし、身体がしんどいときや、雨で洗濯ができない日なんかも紙を使う。毎日のことなので、ほんとうに無理のない範囲で布をつかっているだけです。
気軽につかっていると、布おむつってなかなかいいのです。
あて心地もふんわりしてきもちがいいし、お金のこと(紙おむつ代)を気にしないで済むし(笑)、洗濯もべつに負担にならないし(人によるかもしれないけれど)。
このごろは離乳食が始まりました。
お粥をたいて、あとは大人のおかずをつくるついでにちょこちょこっとできたらな、とおもって、スープを煮るときに調味する前のものをとりわけてあげたりしています。
先日本屋で離乳食についての本をあれこれと立ち読みしていたら、自然食を提唱する離乳食の本に「レンジをつかったり、冷凍をしたりするなんて、本来ありえないことで、とても不自然だ」と書いてあって驚きました、笑
私、最近よく考えることがあるのですが、「自然」「ナチュラル」という言葉をよく使う人の多くは、なんだか不自然ではありませんか。
私のまわりの、私が思う、本当にナチュラルな人は、とてもフレキシブルで、変化を柔軟に受け止め、ストレスをじょうずに受け流す技術を持っています。
それに、自分とちがうやり方の人を否定したりもしない。
相手を認めて、さらりと受け流す。
「ナチュラル」ってそういうことなんじゃないかと思います。
白いお砂糖を食べたっていいじゃない、氷たっぷり入れてコーヒー飲んだっていいじゃない、天然100%じゃなくたっていいじゃない、瓶詰めのベビーフードを買ったっていいじゃない、完ぺきな母親でなくたっていいじゃない、、、
でもポリシー(方針)は捨てません(二回目)。
結局わたしは、フレキシブルに、つまり柔軟性のある生き方を選びたいとおもいます。
子育ても、自分のことも、未来のことはわからないから、その場その場で、良いと思うものを選択し、いらないものはあっさりと捨て、そうやって成長してゆこうと思います。
そうしたら、なんだかいろんなことを許せるようになってきました。
わたし、母親になったらきっと今まででいちばん自由になるだろうと、子供ができるずっと前から密かにおもっていたけれど、それはやっぱり現実になって、いまとても自由。
自由っていうのはつまり心が自由っていうことで、心が自由になると、からだも自由になる。
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