私も、そして夫も初めて見るその本は、はやくに亡くなった京都の伯父の子息(つまり夫の従兄)を悼んで作られた本だった。
「しんちゃん」と呼ばれるその人のことを、私はいままでほとんど何も知らずにいたので、借りてきたその本を読んでみることにした。
本の内容は、日本の中世史の研究に情熱を燃やしていた「しんちゃん」こと川端新さんによる遺稿となった論文や講演の記録から始まり、子どもの頃のかわいらしい(しかしとても立派な!)日記、生前関わった人たちから新さんへ宛てたあたたかい言葉の数々、そして家族からのメッセージで締めくくられる。
論文こそ難しいものの、後半からの日記や知人たちからおくられたメッセージなどは私にもやさしく、また新さんの微笑ましいスナップ写真もたくさん載っており、読み進めるうちにすっかり新さんが私の知っている人、いや、家族…歳の離れた兄のような感覚にさえなった。
また、新さんが従弟である私の夫にとてもよく似ていることが本の内容から読み取れたことも、親近感を抱く理由になったのかもしれない。
写真から見る特徴(タレ目のやさしい眼差し、むくむくとした厚みのある手、高い身長)はもちろん、野菜の煮物や海藻類が好きで、山歩きが好き、フィールドワークが好き。お酒をよく飲み、朝に弱く、仕事にとても真面目で、やさしく、まめで、面倒見がよく、すごく器用なのにおっちょこちょいでひょうきん、でも一見なにを考えているのかわからないところ、大人になってもどこか少年のころのままのような雰囲気、、、
これらはすべて本の中で友人や家族によって綴られたメッセージにあった新さんの人となりに関するエピソードだけれど、読むほどに夫と重ねて見てしまう自分に気づく。
こんなにも共通点があるというのは、私の思い過ごしなのかな、、、
でも実際、夫の実の兄よりも「兄弟」と言われていた二人だったという。
それはそれとして、学校や職場を共にした人たちから寄せられたメッセージを読むと、新さんがどんなにすばらしい研究者であったかもよくわかる。
周りの誰もが、とても追いつけないと口を揃え、時におそれるほどに。
こうして一冊の本から新さんのことを知って、私の頭からは新さんの存在が離れなくなってしまった。
会ったこともないのに、もう会えないのがほんとうに悲しい。
家族の悲しみが、本から私にも伝わってくるようで、とてもつらい。
私も新さんに会ってみたかったよ。
毎晩、仕事で帰りの遅い夫とふたり、猫を挟んで晩酌をし(私と猫はつまみを食べるだけ)、並んで歯を磨いて、猫を抱いて寝室へ行く。
朝起きて、風呂を入れて、朝食を食べ、弁当を持たせて見送る。
毎日つづく生活が、永遠だと思ったことは一度もないよ。
突然消えたらどうしよう、というのは、しあわせだからこその翳り、、、伯父も同じ事を本の中で書いていた
年末に京都へ行ったら、あらためて新さんにご挨拶をしたい
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