2015年9月30日水曜日

離乳食はじまる

半月ほど前から、いよいよ娘の離乳食が始まった。

先輩ママさんから「離乳食は始まったら始まったで大変だから、ゆっくりでいいと思うよー」
と言われていて、そうだそうだ、そうしようと思っていたのだけれど、私や夫がごはんを食べるのを娘がじーーっと見たり、よだれをだらーっと出したりしていたので、試しにごはんをお湯で溶いてすり潰してあげてみたら、見事な食べっぷりを見せた。
あらま、そんなに欲しかったならもう始めようか。
この時、娘は5ヶ月半。


というわけで、離乳食のはじまり。
いつか買った育児雑誌の付録に付いてきた薄っぺらい離乳食ブックを参考に読んでみる。
「小さじ1から始めて、一ヶ月後までに小さじ10に増やします」
えっ、結構少ないんですね、、、。

アレルギーや、赤ちゃんの胃腸がまだ慣れていないからということらしいけれど、なかなか小さじ1で終わるものでもなく、けっこう食べる。

アレルギーに関しては、なんでも食べる私のお乳を飲んでいてとくに問題がなかったのでおおよそ大丈夫だろうと勝手に判断。
胃腸の方は、離乳食が始まって、かえって便通がよくなった。

とにかく娘はよく食べる。さすが私たち夫婦の子供だ(関係ないかもしれんけど)。
ひとくち食べさせる毎に足をばたばたして喜び、前のめりになって、自分で匙を引き寄せて食べる。


離乳食に関しては、とにかくこれから毎日のことなので、今までの育児同様に無理なくできる範囲でやろうと決めていたので、自分の裁量でやることにする。
お粥は、炊いた米に湯(または水)を足してミルクパンでゆるゆる炊き、ハンディーブレンダーでペースト状にして、小分けして冷凍。

野菜に関しては、我が家では秋冬になると毎日のように野菜のスープを煮るので、そこから味付け前のものをとりわけて使う。
ポタージュスープなんかは本当にそのまんまなのでぜんぜん苦にならない。
これも小分けして冷凍。

野菜のペーストも、やはり喜んで食べる娘。
食べるたのしみをはやく共有したいと思っていたので、母は嬉しい。
たまに、ぐずってお乳をほしがり、ほとんど食べなかったこともあったが、機嫌のよいタイミングを見計らってあげるようにしたら、ぺろりと完食した。


また、まだ離乳食も始まったばかりなので、1日外出している日はお乳だけだったりもする。
一食に食べる品目は多くてもせいぜい野菜2種類と米くらい、しかも何日か同じ献立が続くのだけれど、今まではお乳だけだったわけだし(笑)、いまのところはこんな感じでいこうとおもう。




はじめてのごはん。





この日は地元産の南瓜のポタージュ。




南瓜は皮ごとスープにしたら緑色になった。
お粥に乗せて。




こちらはシメジと実家で採れたじゃがいもに豆乳を足したポタージュ。
器は先日古道具屋で買った直径10cmほどの小鉢、お匙は友人が出産祝にくれた赤ちゃんサイズのもの。
離乳食にぴったりで気に入っている。








猫たちと戯れ、日々成長している娘です。

2015年9月28日月曜日

絵本

出産祝いにいただいた図書カードを持って本屋さんへ行ってきました。
お店は、岐阜にある子どもの本の専門店「おおきな木」さん。

私が小さかった頃、母が子どもの本研究会とかいう絵本サークルに入っていて、
絵本の読み聞かせや人形劇なんかをやっていたので、私もいろんな絵本を読んでもらっておりました。

日本の絵本も外国の絵本も、いろいろ読んでもらったけれど私の好みは外国寄りだったかな、気に入ったものを並べると海外の作品が多い。
なかには絶版になってしまった良い作品もいくつかあるのでそれは本当に残念、、、



さて今回買ったものは後列左から
おやゆびひめ(リスベート・ツヴェルガーの挿絵)
ハリス・バーディックの謎(C.V.オールズバーグ)
プレッツェルのはじまり(エリック・カール)
弦のないハープ(エドワード・ゴーリー)
手前の一冊
むしのほん(エドワード・ゴーリー)

リスベート・ツヴェルガーは、別の作品を小さい頃に何度も読んでとても気に入っていて、大人になって安曇野を旅したときたまたま彼女の原画展でその絵に再会し、いつか絵本を買おうと思っていたのがやっと手に入った。
彼女はまあるいタッチの絵と写実的なものと描くけれど、私は後者が好み。

オールズバーグはこちらもまた「名前のない人」という絵本が実家にあって、何度も何度も読んでいた大好きな作家。
美しい絵ももちろんだけれど、どの作品もなんともいえない独特の雰囲気が全体を包み込んでいて、ぐっと引き込まれる世界があるのです。

プレッツェル〜は、言わずと知れたエリックカールの作品だれど、定番中の定番「はらぺこあおむし」ではなく、こちらにしてみた。
ドイツにすこし関係があるってことで、、、

残りの2冊はこちらも大好きな「エドワード・ゴーリー」の作品。
とても子ども向きとは言えない作家だけど大好きなので、いちおうゴーリーのなかでは穏やかな内容のものを選んでみた、笑


なんだか子どものためというより完全に私の趣味だけれど、いつか娘もこれらを読んで何かしら感じてくれればいいや。
どれも間違いなくすばらしい作品ばかりだから。


2015年9月25日金曜日

子育て6ヶ月

娘が産まれて6ヶ月が経ちました。

妊娠、出産、育児、はじめてのことばかりで、
いろいろ感じたことなど、記録しておこうと思います。


*****


私たち夫婦は、過去の病気が原因で、自然妊娠は望めないとお医者さんに言われていました。
結婚するときに「こどもができなくても、ふたりで楽しく暮らしていこうね」
と話して、結婚しました。
焦ることなくのんびり暮らして、結婚6年目に、いろいろな縁に恵まれて、たくさんの人の力を借りて、子供を授かりました。

いよいよ母親になるのだと思って、心構えというわけではないけれど、最初に「今まで持っていた『こだわり』は捨てよう」とおもいました。
子育てはきっと思い通りにならないことばかりだろうから、へんなところにこだわって、ストレスを溜めたり無駄なエネルギーを使ったりしないようにしようという作戦。
でも、ポリシー(方針)は捨てません。

だから、妊娠中も、食べ物や生活にあまり気をつけず、、、もとい、神経質にならず、妊娠出産関連の本も、必要最低限しか読みませんでした。
周りの人たちによく「こだわって助産院で産みそうだね」と言われていたけれど、設備の整った、ホテルみたいにきれいな個人病院を選びました。
伝統とか、自然なかたち、とかよりも、何かあった時すぐその場で処置ができるような設備のある病院は、私にとっては安心感があり、そこが決め手でした。

妊娠中は、つわりがほんとうにひどくて、しんどい日々でした。
個人差がおおきいものだけに、なかなか周囲からの理解を得ることがむずかしく、身も心もつらかった、、、
ただ、夫や母、おなじようなつわりを経験した姉など、身近な人が理解し励ましてくれたので助けられました。

結局あまり動けなかったせいか予定日から10日過ぎてもこどもは産まれて来ず、薬を使って誘発することになり、入院して、1日陣痛に耐え、翌日のお昼に鉗子分娩で産まれました。

出産はとにかくたいへんだったけれど、産まれてからはもう、未体験のしあわせな日々の始まり。
病院はきれいで快適だし、ごはんも朝からサンドイッチ、パンケーキ、ごはんに味噌汁に焼き魚など日替わりで超豪華だし、3時にはおやつが出る。
味はファミレスに毛がはえたようなものだけれど、不満なんてぜーんぜんなかった、据え膳上げ膳で、毎食おいしくたのしく幸せな気分でいただいた。
家事もしなくていいし、ただひたすら産まれたばかりのこどもと添寝をして、お乳をやって、ごはんをたべて、ぼーっとテレビのニュースをみていればいいのだから、こんな幸せな時間はないなぁと思って過ごしました。

産まれた娘は、どうやらおとなしい子らしく、産まれてすぐから夜泣きもほとんどせず。おなかが空いて起きても、泣かないでぞもぞしているので、それに私が気付いて目を覚まし、お乳をやる、、、という感じで、結局生後2ヶ月頃からは夜中に起きることもなくなって、朝までお乳ものまずぐっすり眠るようになりました。


おむつは、主に布を使っています。
と言うと「すごいね、えらいね」といつも言われるのだけれど、私としては、姉や親しい友人が布だったので、なんとなく私も布にしたという感じで、とくにこだわりを持ってやっているわけでは決してありません。
外出するときは紙おむつだし、身体がしんどいときや、雨で洗濯ができない日なんかも紙を使う。毎日のことなので、ほんとうに無理のない範囲で布をつかっているだけです。
気軽につかっていると、布おむつってなかなかいいのです。
あて心地もふんわりしてきもちがいいし、お金のこと(紙おむつ代)を気にしないで済むし(笑)、洗濯もべつに負担にならないし(人によるかもしれないけれど)。


このごろは離乳食が始まりました。
お粥をたいて、あとは大人のおかずをつくるついでにちょこちょこっとできたらな、とおもって、スープを煮るときに調味する前のものをとりわけてあげたりしています。
先日本屋で離乳食についての本をあれこれと立ち読みしていたら、自然食を提唱する離乳食の本に「レンジをつかったり、冷凍をしたりするなんて、本来ありえないことで、とても不自然だ」と書いてあって驚きました、笑


私、最近よく考えることがあるのですが、「自然」「ナチュラル」という言葉をよく使う人の多くは、なんだか不自然ではありませんか。
私のまわりの、私が思う、本当にナチュラルな人は、とてもフレキシブルで、変化を柔軟に受け止め、ストレスをじょうずに受け流す技術を持っています。
それに、自分とちがうやり方の人を否定したりもしない。
相手を認めて、さらりと受け流す。
「ナチュラル」ってそういうことなんじゃないかと思います。


白いお砂糖を食べたっていいじゃない、氷たっぷり入れてコーヒー飲んだっていいじゃない、天然100%じゃなくたっていいじゃない、瓶詰めのベビーフードを買ったっていいじゃない、完ぺきな母親でなくたっていいじゃない、、、
でもポリシー(方針)は捨てません(二回目)。


結局わたしは、フレキシブルに、つまり柔軟性のある生き方を選びたいとおもいます。
子育ても、自分のことも、未来のことはわからないから、その場その場で、良いと思うものを選択し、いらないものはあっさりと捨て、そうやって成長してゆこうと思います。

そうしたら、なんだかいろんなことを許せるようになってきました。
わたし、母親になったらきっと今まででいちばん自由になるだろうと、子供ができるずっと前から密かにおもっていたけれど、それはやっぱり現実になって、いまとても自由。
自由っていうのはつまり心が自由っていうことで、心が自由になると、からだも自由になる。