2024年10月22日火曜日

2024年秋、推しと本と手作りと


最近どうですか。

前回の更新がちょうど一年前なんだなぁ。
ちょうど一年前といえば、
今の私の人生にはすっかり欠かせない存在となった
ASTROと出会ったころだなぁ

まさか自分の人生にK−POPが登場するなんて思ってもみなかったけれど
熱しやすく冷めやすい私が1年間冷めることなく、それどころか想いは強まるばかり…!
なので今月からファンクラブにも入った!(人生初のファンクラブ入会)

何かを好きでい続けることって私には時に難しいことなんだけれど、
この歳だからこそあまり無駄なことに振り回されずに推し続けられるっていうのもあると思う。
ただただ地味に私なりの推し活をしてゆこうと思っています。


それから最近また本を読むようにしています。
ついつい動画やSNSばかり見ちゃうんだけど、
『NHK100分で名著』でおもしろそうだなーと思うものに出会って自分でも読んでみたら
理解がもっと深まって、自分の中に本の内容がじわじわ染み込んでいく感じ。

それで出会った中の一冊がV.E.フランクル『夜と霧』(霜山徳爾訳、みすず書房)。
苦悩について書かれているという解説に興味を持って図書館で借りてみた。
このブログでもたびたび書いているけれど、私はもう何年もずーーっと苦悩の中にいると思う。
うまくいかないことが多すぎて、自分という人間を見失ったり、見つけたような気がしてもやっぱりまだ靄の中にいて。

そんな中で読んだ夜と霧の中には、
悩みや苦悩からは、逃れようとしたり、ごまかしてみないふりをしたりしなくてもいい。
むしろ自分だけに課せられた苦悩という人生の問いかけとまっすぐ向き合って、
その問いに答えてゆくことこそが人間として生きる道だと書かれてた。

とても勇気付けられたのだけれど、もうひとつ心に残ったのが
アウシュビッツという最も過酷な世界で、内面的な拠り所を持たなくなった人間が
精神的、人間的に崩壊していった、というエピソードだった。
自分を待つ人の存在、未来への希望、そばに立っている一本の樹…。
そういうものに希望を持って人は生きるのだけど、
でも内面的な拠り所って、むずかしい。
ともすれば裏切られてしまうことだったりもすると思う。
特に物理的な希望は、自分の意思とは関係なく崩れることがある。

じゃあ私にとっての内面的な拠り所ってなんだろうと思ってふと気づいたのが、
何かをつくるという作業、つくっている時間そのものなのだった。

実は最近、絵を描くということを再開したのだけど
その時間が思いの外自分を癒していることに気づいたのね、
作品ができあがるとそれはとてもうれしいけれど、
ひたすらつくっている作業、自分の中にある完成形を思い、
妥協せず工夫しながら無心で向き合う作業、
それそのものが私にとっての『拠り所』だったんだと思ったのです。

そこだけは、絶対に裏切られることがない私だけの世界だから。

このブログを読み返していると、色々なことに悩みながらああでもないこうでもないと書き連ねて、そうしながらいつも料理をつくったり、子供の服や小物をつくったり、こうして誰が読むでもない文章を書いたりしている私。
それはわたしにとっての大切な生きる希望だったんだと気づいたのでした。

それは私にとってうれしい発見だった。
実は今まで自分のなかでそういう時間は、
お金にもならない無駄な時間だと思っているふしがあったので。

でも大切にしなくちゃ。
そんなことに気づいたのがこの2ヶ月ほどの話です。

このブログもまたコツコツと書いてみよう、自分だけのために。






『夜と霧』そして娘と一緒に読んだ『海底二万里』
そして左にあるのはミュシャ展で買ったミュシャ×ムレスナティーのコラボ紅茶の紙箱をポップアップカードに作り変えたところ。まさにこれをつくっている時、「私の内なる希望はこれだ」って気づいた。



ノートにちょびちょび描いてる。描いてるだけで癒し。



夏に作ったミカンとミルクのゼリー